リヴァイアサン (岩波文庫) 「序説」
第1巻 pp.37-
〔以下、段落番号〕
1
自然〔神がそれによってこの世界をつくったし、それによってこの世界を統治している、その技術 Art 〕は、人間の技術によって、他の多くの物事においてのように、人工的動物をつくり得るということにおいても、模倣される。
ここにおいて "Art" を「技術」としている
すなわち、生命は四肢の運動に他ならず、その運動のはじまりが、内部のある主要な部分にる、ということをみれば、すべての自動機械 Automata 〔時計がそうするように発条ばねと車〔歯車〕で自ら動く機関 engine 〕が、人工の生命をもっていると、われわれが言ってはいけない理由があろうか。 心臓は何かと言えば、ひとつの発条に他ならず、神経はと言えば、それだけの数の紐に他ならず、そして関節は、それだけの数の車〔歯車〕に他ならず、これらが全身体に、製作者 Artificer によって意図された通りの運動を、与えるのではないだろうか。
技術はさらに進んで、自然の理性的でもっとも優れた作品である、人間を模倣する。すなわち、技術によって、コモンウェルスあるいは国家 State と呼ばれる、あの偉大なリヴァイアサン(注釈 1)が、創造されるのであり、それは人工的人間(注釈 2)に他ならない。
(注釈 1)
リヴァイアサン
リヴァイアサン Leviathan は、ビヒモス Behemoth とともにヨブ記 40-41 に出ている。
ビヒモス 〔ベヘモト〕
ヨブ記 40章 15-24節
リヴァイアサン 〔レヴィアタン〕
ヨブ記 41章 33-34節
地上には彼と並ぶものなく、彼は恐れを持たないように造られている。
彼はすべての高い物事を軽蔑し、あらゆる高慢の子たちの王である。
聖書のリヴァイアサンは、人間の力を超えた、極めて強い動物であるが、神の力はこの動物をも倒すのだとされ、神の偉大さを示す例なのである。〔詩篇 74章、イザイア記 27章 1節〕
なお、ホッブズはビヒモスをイギリス革命史の著作の題名としている。彼にとってはともに国家を表わすものだったと考えられるが、前者〔リヴァイアサン〕はいわば理論的に構成され、後者〔ビヒモス〕は革命の現実のなかで観察されたという点で対照的である。
(注釈 2)
人工的人間
政治機構を人体 Political body に対比することは、当時の思想の特徴のひとつであった。
ホッブズの友人であるウイリアム・ハーベーも医学者の側から同様に述べている
ここからただちにいわゆる国家有機体節がでてくるわけではなく、ホッブズが身体と機械との対比をおこなっていることからもわかるよう、逆に人間を一種の機械として理解しようという傾向がうまれてきた。
いずれにしても、このような対比には、運動をどう理解するかという関心があり、やがて経済循環がとくに血液 = 貨幣の流れとして考察されるようになる。
ただしそれは、自然人より形が大きくて力が強いのであって、自然人がそれを保護し防衛するようにと、意図されている。そして、その中で、主権 Soveraignty は全身体に生命と運動を与えるのだから、人工の魂であって、為政者たち Magistrates とその他の司法と行政の役人たちは、人工の関節である。賞罰〔それによって主権の地位に結びつけられて、それぞれの関節と四肢は、自己の義務を遂行するために動かされる〕は、神経であって、自然の身体においてと、同じことをする。すべての個々の構成員の富と財産は、力であり、人民福祉 Salus Populi 〔人民の安全〕は、それの業務であり、それが知る必要の全てのことを、それに対して提示する顧問官たちは、記憶であり、公正 Equity と諸法律は、人工の理性と意志であり、和合は健康、騒乱は病気で、内乱は死である。
Equity
エクイティ
衡平、公正を意味し、正義と衡平の観点からコモンローを補正するために形成され発達した、コモンローと並ぶ一つの独立の法体系
最後に、この政治体の諸部分を、初めてつくり、集め、結合した協定 Pacts と信約 Covenants は、創造において神が宣告したあの命令 Fiat 、すなわち人間をつくろう、という言葉に、似ている。
神のあの命令と似ている
神による人間の創造と人間による国家の創造が、創ろうという言葉と契約〔協定と信約〕において結びつけられている。
ホッブズの政治理論が社会契約と呼ばれる所以である
2
この人工的人間の本性を叙述するために、私は、
第一に、それの素材 Matter と製作者、それらはともに人間である。
第二に、どのようにして、どういう諸信約によって、それはつくられるか、主権者の諸権利および正当な権力あるいは権威 Authority とは何か。そして何がそれを維持し、解体するか。
第三に、キリスト教的コモンウェルス
最後〔第四〕に、暗黒の王国とは何か。
を考察したい。
3
第一に関しては、賢明さ Wisdome は、書物を読むことによってではなく、人びとを読む〔知る〕 Read ことによって獲得されるのだという格言が、近頃、大いに利用されている。その結果として、互いに相手の背後で無慈悲に非難し合うことによって、自分が人びとの中に読み取ったと思うことを示して、大いに喜んでいる人びとがあり、こういう人びとは、その大部分は、そうするより他に、賢明であることの証拠を提出することができないのである。
しかし、近頃では理解されていない、もうひとつの格言があって、もし人びとがその労をとりさえしたならば、それによって、本当にお互いを読むことを、学び得たである。それは、汝自身を読め "Nosce te ipsum", "Ready thyself" (注釈 4)という格言であり、
(注釈 4)
Nosce te ipsum
アポロンの神殿に掲げられた標語で、ソクラテスがこのことを強調した。
この格言は「汝自身を知れ」と訳されるのが普通であり、原語 Nosce には両方〔読む、知る〕の意味がある。
それが意味したのは、今日使われているように、権力をもった人びとの、その下位の人びとに対する野蛮な状態を黙認することでも、低い地位の者の、優越者に対する無礼なふるまいを奨励することでもなく、次のことをわれわれに教えることであった。
すなわち、あるひとりの人間の諸思考と諸情念に類似しているために、だれでも自分の中をみつめて、自分が思考し判断し推理し希望し恐怖し等々するときに、何をするか、それはどういう根拠によってかを、考察するならば、彼はそうすることによって、同様な場合における他の全ての人びとの諸思考と諸情念がどういうものであるかを、読み、知るであろう、ということである。
私が言うのは、全ての人において同一の、意欲 desire 、恐怖、希望等々の、諸情念のことであって、諸情念の諸対象、つまり意欲され、恐怖され、希望され等々される物事の、類似性のことではない。
というのは、後者は、個人的体質と個別的な教育が、大変多様なものとするし、われわれの知識から大変容易に隠されるので、現実に見られるように、欺瞞と虚偽と誤魔化しと誤謬の諸学説によって汚れ混乱させられている人間の心の諸性格は、心を探求する人にだけ、読むことができるのだからである。
またわれわれは時々、人びとの諸行為によって、彼らの意図を発見するが、それでも、それらを、われわれ自身の諸行為と比較することなく、事情を変更させ得る全ての状況を区別することなしに、そうすることは、暗号書なしに暗号を解読することであって、大抵は、読む人自身が善人であるか悪人であるかに応じて、信頼しすぎるか疑いすぎるかして、欺かれる。
4
しかし、ある人が他人を、その諸行為によってどんなに完全に読むとしても、それは彼の知人についてしか役に立たず、そういう人は極めて少ない。全国民を統治すべき人は、彼自身のなかに、あれこれの特定の人ではなく、人類を読まなければならない。
そうすることは難しいだろうし、どんな言語や科学を学ぶよりも難しいにしても、私が自分の読み方を整然とかつ明瞭に、示してしまってからならば、他の人に残された苦労は、彼自身の中に同じことを見出さないかどうかを、考察することだけであろう。というのは、この種の学説には、このほかの論証の余地はないからである。
〈了〉